たき火 

            マルコ13:1~8 2024.11.17        

 ♬ かきねの かきねの まがりかど たき火だ たき火だ おちばたき。

 この時期になるとつい口ずさみたくなる童謡である。
 この歌詞を書いたのは巽(たつみ)聖歌。岩手県のある教会のクリスチャンである。実家の鍛冶屋を手伝いながら詩をつくり、北原白秋にみいだされ児童文学誌「赤い鳥」に編集に携わった。讃美歌318番「主よ、主のみまえに」は彼の作である。

 「たき火」は昭和16年にNHKラジオで放送された。太平洋戦争が始まった年である。ところが「たき火は敵の攻撃目標になる。落ち葉といえども風呂の焚きつけになる。」との軍部の横やりで放送は中止された。そして128日ついに戦争が始まった。たき火で国土が焼失することはあるまいが、戦争で日本は焼野が原になってしまった。終戦後NHKラジオ「歌のおばさん」で取り上げられ、多くの人に親しまれ音楽の教科書にも載った。

 「たき火」はたき火の風景を歌っただけのものではない。聖歌はクリスチャン。しかし戦時下ではキリスト教は肩身がせまい。キリストなどと軽々しく口にはできない。彼はその思いをこの歌に託したのではあるまいか。ここで歌われているたき火はキリストそのものなのだ。

 外では戦争という木枯らしがびゅうびゅう吹いている。体も心も凍り付く。だからこそ、みんなでキリストのもとに行き、心も体も温まろうと歌う。しかも自分一人温まるのではない。友達を誘う。しかし戦時下のことゆえ、キリストのもとに行くのははばかられる。三番「そうだんしながら あるいてく」はそうした思いが歌われているように思えてならない。

 教会ではまもなく待降節(アドベント)を迎える。みんなでキリストのもとに集まり、暖めていただこう。