その先にこそ神がおられる
ヨハネ3:1~17 2026.3.1
日が沈みまわりが静けさにおおわれると、この男は物思いに沈むようになった。その男の名はニコデモ。議員でありパリサイ派の教師でもある。押すに押されぬ立派な人物である。
ある夜、意を決して主イエスのもとを訪ねた。この時の様子を聖書は詳しく記している。片やこの世の長(おさ)であり、片や神の独り子である。ニコデモは主の一言一句に心を震わせつつも、それを受け入れることのできない己の不甲斐なさに涙する。ニコデモの涙に主イエスも言葉の限りを尽くされる。
ニコデモよ、あなたは議員として教師として立派な働きをなしておられる。国を憂える若き志士には道を説き、腹をすかせた者にはパンを恵む、そのお姿を私は知っていますぞ。しかし、その先にあなたは何を見ておられるのかな。何も見えておられぬのではなかろうか。神さまを見るのですぞ。そのお方こそが、永遠の命を授けてくださいますからな。
このことがあってのち、ニコデモの姿は主イエスの前からぷつりと消えた。再び姿を見せたのは、主が十字架につけられた時である。彼は香油と没薬を手に、主の亡骸(なきがら)を丁寧に葬って差し上げたのである。
主のみ言葉は消えてはいなかった。ずっと彼の心に生きていた。彼は、主イエスの死のかなたに、主のご復活を見ていたのである。目に見えることがすべてではない。その先にこそ神さまがおられる。そのお方こそが人を本当に生かす。その事実に心を開いたのである。