旅は道連れ

ルカ:18:1~8

私たちは神の世ならぬ人の世に暮らしている。智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈、そんな世に身を置いている。
 だがそれがすべてではあるまい。わが魂は鹿が谷川の水を求めるがごとく神を求め、神のみ国にあこがれる。どんなに振りほどいても、どうすることもできない。わが魂を納得させるには、この世のことだけを考えても埒(らち)があかない。
 昔、地球が世界の全てと考えられていたときは、地球のことだけを考えればよかった。しかし地球以外にも無限の宇宙が広がり、深い海にはこの世とは全く違う世界があることを知った今、知らないふりをして生きることはできない。だから人は宇宙に行くために宇宙船を作り、深い海に潜るために深海艇を造った。
 信仰もこれと似ている。私たちは人間の世界だけではなく神の世界があることを知った。神さまの御心を知った。そして人はそこにいくために新しい乗り物を編み出した。それが聖書であり、イエスさまを信じる信仰である。
 袖振り合うも多生の縁。イエスさまを道ずれに歩むこの世の歩みも捨てたものではない。