新しい時代の予感 

使徒2:~21  2025.6.8    

  先週ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄氏が亡くなった。間違いなく昭和を代表する人物のひとりである。時代はそれにふさわしい人物を欲し、その人が世を後にしたとき、その時代の終わりを感じさせる。ミスターもまたそのひとりであった。

 聖書でも新しい時代を予感させるものがある。ペンテコステがそれである。五旬節の祭りの日、主なる神は聖霊を世に降してくださった。その日が、主がご復活されてから50日目であったことから50番目を意味するペンテコステと呼ばれるようになった。その日の出来事を聖書は次のように記している。天からの激しい風の音が弟子たちのいる家いっぱいに響き渡り、炎のような舌が一人一人の上にとどまり、異国の言葉で主の御業を語り始めた。これを聞いた3000人余りが仲間に加わった。
 これがどうして新しい時代を予感させるのか、過去の時代と比べれば一目瞭然である。
 聖霊は弟子のいる家一杯に満ちた。聖霊は神のみ使い。それが普通の家に降ることはなかった。神殿や祭司の家と決まっていた。聖霊はひとりひとりの上にとどまり、主の御業を語り出したという。それまで民族の信仰を問うことはあったが、個人の信仰が問われることはなかった。しかし今や神はひとりひとりに語りかけ、導いて下さる。これまでは聖地イスラエルが神の庭。しかしこれからは違う。ローマやスペインなどのヨーロッパ、アジアの国々など世界中が神の庭。そこで一人一人に声をかけてくださり、導いてくださる。
 聖霊こそが新しい世界に一番ふさわしい。新しい時代の予感、ぜひ私たちも感じて
みたいものだ。