父よ彼らをお赦しください(抜粋)


2025.11.23

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ2334
 この「彼ら」の中には私たちも含まれています。私たちも主イエスの執り成しによって、罪を赦されました。この主イエスの祈りは、主に赦されたものとして、私たちも自分を傷つけた人を赦す生き方をするように、教えています。しかし、分かっていても赦せないことがあります。赦せないまま、心の傷を引きずっていることもあります。「つまづき」という言葉が教会内で使われています。
「つまづく」ということは、相手を赦せないということです。ある人は、残念なことに、教会を離れてしまうこともあります。私たちは、自分を振り返ってみて、人を赦していない自分を見出すこが、しばしばあります。
 私自身も、赦したつもりでいても、いやな思い出が、心に湧きあがってくることがありました。ある時、不思議な導きで、その人を赦すことができるようになりました。霧が晴れていくように、その人を赦すことができたのです。聖霊様の導きとしか思えません。主がそのように導いてくださったと思います。逆に、その人を通して以前、神さまが与えてくださった恵が、心に湧き上がってきました。晴れ晴れとした気持ちになりました。逆に、私の方がその人に迷惑をかけて申し訳なかった、という気持ちになりました。しかし、その方は今、天国にいます。天国に行ったら謝ろうと思います。今、赦すことは、恵みだということを実感しています。
 赦せないことはつらいことです。しかし、主イエスは赦すことのできでない、弱さを持っている私を愛しておられることを忘れないようにしたいと思います。つまづいたときには、主イエスの十字架を見上げ、赦せる心が与えられるように祈っていきたいと思います。                                    三田増雄師